9月19日落語会2
柳家 小三治師匠 【転宅】
マクラでは・・・
小三治:『こちらは・・・大きな所ですねぇ〜♪
ビックリしちゃう♪』
膝元のお茶(漢方?)を・・・
小三治:『今・・・楽屋で・・・考えていました♪
ど〜も、お久しぶりです♪
(入院に関して)あまり、いわゆる、情報を世間に流さなかった♪
極端に言うと・・・8月18日に入院して、3週間ちょっと・・・って・・・言うような事は、新聞記者とかに話さないようにしていました♪
入院の話をしますと・・・
『病気はなんですか?』って相手が聞きたくなりますからねぇ〜
\(>_<)/
手術をしました・・・♪』
会場・・・ザワザワザワ・・・
小三治:『(手術の時)麻酔で『もう少しで、意識がなくなりますよ♪』って(看護師に)言われた時・・・
【もう・・・いいか?】って本当に思いました!
(首の)頚椎の手術でしたが・・・
元々、50才代から、リュウマチを・・・
よくやってきました・・・【偉い!】』
\(^o^)/
小三治:『(頚椎の手術)そうとは、悟られずにやってきましたが・・・
首が・・・短くなった?
\(^o^)/
手術は・・・京都で・・・
(京都で入院・手術だと分かってしまうと・・・)
『それじゃ〜♪京都見物がてらに・・・お見舞いに・・・』って人が・・・
居るんですよ!そういう人が・・・!
\(>_<)/
(手術した)病院は、小さく、(取材や見舞いの方が来ると)ごった返してしまいます!
ですから・・・極秘に!
(取材や見舞いの方は)まさか・・・京都に逃げたとは・・・思わない!
手術をしたのは、整形外科の病院なんですが・・・その病院にリハビリが・・・無い!
(病院からは)『必要なら・・・京都大学病院でもどこでも、紹介いたしますよ♪』って・・・
そういう、変な所にひかれたんですが・・・
その病院では、手術した、翌日から歩かされました!
東寺に・・・五重塔がある、京都の南側ですね♪
病院は『何処へでも行け!』って・・・
鞍馬山へでも・・・
私の紋は・・・鞍馬天狗で・・・
もう一人・・・おりますが・・・♪
\(^o^)/
で・・・何処へ行ったか?
京都大原三千院♪』
ここで、小三治師匠【京都大原三千院】の歌を一節・二節・・・
\(^o^)/
小三治:『この歌の作詞が・・・友達の永六輔の作詞で・・・
歌詞の情景を想像して行きましたが・・・
永さんは・・・嘘つきですねぇ〜♪
とんでもない、山の中で・・・
貸しきりタクシーの運転手さんが・・・
『裏道を知っていますので、もっと上へ行けます♪』って・・・
車の後、歩いて登りきると・・・庭を見せる所に出ました♪
そこに、二人の植木屋さんがいまして・・・
静かな所だか、何か言わないと♪って・・・
『植木屋さん♪ご精が出ますね♪』って言いました・・・
が・・・無視されました・・・
\(>_<)/
シャレが通じない!』
\(^o^)/
小三治:『鞍馬山へも行きました♪
私・・・鞍馬天狗が好きで・・・♪
鞍馬天狗を演じた俳優・・・嵐寛寿郎・・・
って・・・平安時代の人・・・?
\(^o^)/
(映画の鞍馬天狗で)(子役の)美空ひばりが・・・
『(天狗の)おじちゃん、本当に江戸へ行ってしまうの?』この問に・・・
嵐寛寿郎は・・・
(小三治師匠がモノマネで)
『おじさんは、どうしても、江戸へ行かなきゃならないんだよ♪坊やは良い子で、待っていて♪お土産を買って来てあげるよ♪』って・・・
これを、山門で、嵐寛寿郎のモノマネでやっていましたら・・・
誰かが・・・ムービーで撮っていました・・・
\(>_<)/』
\(^o^)/
小三治:『京都駅に虎屋の看板が・・・
【京都で生まれて500年】って・・・
虎屋は、赤坂のもんだと思っていました!
物知りな髪結い屋の方が・・・
この方は、吉原の事をよ〜く知っていて、その方が、吉原についての事柄を200本のカセットテープに知識を吹き込んで、それを私に下さいました♪
その方が言うには、羊羮は、仙台の白松がモナカの栗羊羮が最高だと・・・
\(^o^)/
(エノケンロッパの)榎本健一・・・
昭和の始めに、猫の代わりに虎を飼いまして♪
虎は、小さい頃は、カワイイんですが・・・
段々大きくなると・・・\(>_<)/
エノケンからすれば、小さい頃から飼っているから、恐くはないんですが・・・
外の人は・・・恐い!
そんなおり、時代の戦争の影響で、(大型の)動物を殺す!って事態に・・・
エノケンは、虎を仙台の動物園に連れていき、そちらに預かって貰う事に・・・
10年後に、仙台の動物園にエノケンが、虎に会いに行き・・・
(虎の)檻の中へ入っていきます・・・
すると、虎は、振り向いて、シッポを振りながら・・・『クゥ〜ン♪』って鳴いた・・・
エノケンは(元飼っていた虎に)『元気でいたか?』と・・・
\(^o^)/
虎屋の羊羮がなんで京都に・・・?
先程の吉原の事柄をテープに入れてくれた方によると・・・
白松がモナカの栗羊羮には、フクマセ?を入れてあるそうで・・・
頂いたテープをイッパイ聞きました♪
そんなこんなで、私は、【廓噺】をやるようになった!
京都の病院を退院して・・・
白松がモナカの栗羊羮を取り寄せて食べました・・・
・・・・・・美味しい♪・・・・・・
\(^o^)/
『よかったら、食ったらよかんべ♪』って・・・
白松がモナカの栗羊羮・・・お薦めいたします♪
これを、薦めたところで・・・時間は?』
\(^o^)/
まだまだ、大丈夫なようです♪
\(^o^)/
小三治:『京都御所の側の、虎屋本店にも、行きました♪
東京の羊羮は・・・ヨウカンだぁ!って・・・
京都の羊羮は・・・ハンナリしています♪
二条城も、京都御所も・・・バスで連れていかれました♪
奈良へも・・・
ただ・・・嵐山へは・・・
こちらは・・・手薄になった・・・
\(>_<)/
嵐山といえば・・・
高校の修学旅行で、京都嵐山に・・・
渡月橋で、一人で、枝をくわえて(嵐山寛寿郎気取りで?)いましたら・・・
同級生の久枝さん(女性)に会ってしまい・・・
(この会場には)居ないでしょうね?
別の落語会で、話をしましたら・・・
その方が会場にいらしたんですよ!
後に、久枝さんと同窓会で、会った時・・・
小三治:『久枝さん、覚えている?』
久枝:『覚えているわよ!渡月橋で・・・
あなた・・・何か・・・くわえていたわねぇ〜?』
小三治:『俺は、犬じゃないや!』
\(^o^)/』
会場・・・パチパチパチ!
小三治:『都内初公開で・・・
(京都での入院・手術・京都の話)
拍手は、要りません!
こんなの、芸でもなんでもないですから・・・♪』
\(^o^)/
小三治:『次の話題へ・・・
ヤッパリ京都の話・・・
【高瀬舟】
高瀬川って、鴨川に沿って流れていまして・・・
宇治の下の方で、一緒になる川なんですが・・・
森鴎外の【高瀬舟】を、私は、中学の時に読みました♪
高瀬川の様子も(小説の中とは)変わってきまして・・・
鴨川も、川辺や川幅が半分に・・・
高瀬川も、半分に・・・
以前は(高瀬川)川幅が5bくらいあり・・・
小舟が通れる川で・・・
【高瀬川】を朗読で、読んで妹に聞かせました♪』
\(^o^)/
小三治:『人間として、生まれて・・・名を残したい♪
墓石の名前は・・・その気持ちの表れで・・・
名前を残すって・・・
良いことで、名前を残す・・・これは、多い♪
悪いことで、名前を残す・・・これは、少ない♪
悪いことで、名前が残っているのは・・・
石川五右衛門♪
でも、石川五右衛門って・・・
何をしました?
誰も分からないんで・・・
\(>_<)/
それは・・・(当時)大阪城に忍び込んで、大阪城の主の豊臣秀吉の寝首をかこうと・・・
そこは、それ、事前に秀吉には、石川五右衛門が忍び込んでくると・・・
事前に情報が入っており・・・
大阪城の廊下を鶯張りの廊下に・・・
その鶯張りの廊下と知らずに歩くと・・・
『ほ〜ほけきょ♪』って・・・
\(^o^)/
この鶯張りの廊下で、石川五右衛門は、捕まり、京都の三条河原で処刑されまさした・・・
処刑に際し、街中に高札を立てたもんですから、見物人がごった返しまして・・・
石川五右衛門は、釜茹での刑に・・・
釜茹でって言いましても、お湯で茹でたんではなく、油で・・・
ですから、釜揚げの刑が正式なんですが・・・
【釜揚げの刑】に、京都のうどん屋からクレームがついて・・・
【釜茹での刑】の名目に・・・
\(^o^)/
そして、石川五右衛門が、釜茹での刑にされる時の時世の句が・・・
『石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世にに盗人の 種は尽くまじ』って・・・』
こんな泥棒の話をマクラに・・・
噺『転宅』に・・・
小三治師匠のマクラをタップリ聞けて、噺『転宅』までも・・・
マクラの話では、まだまだ、話したい京都の話があるみたいだし・・・
噺も、色々と聞いてみたいし・・・
小三治師匠の会・・・これからもドンドン参戦していかねば・・・
デスネ♪
\(^o^)/
By HB
マクラでは・・・
小三治:『こちらは・・・大きな所ですねぇ〜♪
ビックリしちゃう♪』
膝元のお茶(漢方?)を・・・
小三治:『今・・・楽屋で・・・考えていました♪
ど〜も、お久しぶりです♪
(入院に関して)あまり、いわゆる、情報を世間に流さなかった♪
極端に言うと・・・8月18日に入院して、3週間ちょっと・・・って・・・言うような事は、新聞記者とかに話さないようにしていました♪
入院の話をしますと・・・
『病気はなんですか?』って相手が聞きたくなりますからねぇ〜
\(>_<)/
手術をしました・・・♪』
会場・・・ザワザワザワ・・・
小三治:『(手術の時)麻酔で『もう少しで、意識がなくなりますよ♪』って(看護師に)言われた時・・・
【もう・・・いいか?】って本当に思いました!
(首の)頚椎の手術でしたが・・・
元々、50才代から、リュウマチを・・・
よくやってきました・・・【偉い!】』
\(^o^)/
小三治:『(頚椎の手術)そうとは、悟られずにやってきましたが・・・
首が・・・短くなった?
\(^o^)/
手術は・・・京都で・・・
(京都で入院・手術だと分かってしまうと・・・)
『それじゃ〜♪京都見物がてらに・・・お見舞いに・・・』って人が・・・
居るんですよ!そういう人が・・・!
\(>_<)/
(手術した)病院は、小さく、(取材や見舞いの方が来ると)ごった返してしまいます!
ですから・・・極秘に!
(取材や見舞いの方は)まさか・・・京都に逃げたとは・・・思わない!
手術をしたのは、整形外科の病院なんですが・・・その病院にリハビリが・・・無い!
(病院からは)『必要なら・・・京都大学病院でもどこでも、紹介いたしますよ♪』って・・・
そういう、変な所にひかれたんですが・・・
その病院では、手術した、翌日から歩かされました!
東寺に・・・五重塔がある、京都の南側ですね♪
病院は『何処へでも行け!』って・・・
鞍馬山へでも・・・
私の紋は・・・鞍馬天狗で・・・
もう一人・・・おりますが・・・♪
\(^o^)/
で・・・何処へ行ったか?
京都大原三千院♪』
ここで、小三治師匠【京都大原三千院】の歌を一節・二節・・・
\(^o^)/
小三治:『この歌の作詞が・・・友達の永六輔の作詞で・・・
歌詞の情景を想像して行きましたが・・・
永さんは・・・嘘つきですねぇ〜♪
とんでもない、山の中で・・・
貸しきりタクシーの運転手さんが・・・
『裏道を知っていますので、もっと上へ行けます♪』って・・・
車の後、歩いて登りきると・・・庭を見せる所に出ました♪
そこに、二人の植木屋さんがいまして・・・
静かな所だか、何か言わないと♪って・・・
『植木屋さん♪ご精が出ますね♪』って言いました・・・
が・・・無視されました・・・
\(>_<)/
シャレが通じない!』
\(^o^)/
小三治:『鞍馬山へも行きました♪
私・・・鞍馬天狗が好きで・・・♪
鞍馬天狗を演じた俳優・・・嵐寛寿郎・・・
って・・・平安時代の人・・・?
\(^o^)/
(映画の鞍馬天狗で)(子役の)美空ひばりが・・・
『(天狗の)おじちゃん、本当に江戸へ行ってしまうの?』この問に・・・
嵐寛寿郎は・・・
(小三治師匠がモノマネで)
『おじさんは、どうしても、江戸へ行かなきゃならないんだよ♪坊やは良い子で、待っていて♪お土産を買って来てあげるよ♪』って・・・
これを、山門で、嵐寛寿郎のモノマネでやっていましたら・・・
誰かが・・・ムービーで撮っていました・・・
\(>_<)/』
\(^o^)/
小三治:『京都駅に虎屋の看板が・・・
【京都で生まれて500年】って・・・
虎屋は、赤坂のもんだと思っていました!
物知りな髪結い屋の方が・・・
この方は、吉原の事をよ〜く知っていて、その方が、吉原についての事柄を200本のカセットテープに知識を吹き込んで、それを私に下さいました♪
その方が言うには、羊羮は、仙台の白松がモナカの栗羊羮が最高だと・・・
\(^o^)/
(エノケンロッパの)榎本健一・・・
昭和の始めに、猫の代わりに虎を飼いまして♪
虎は、小さい頃は、カワイイんですが・・・
段々大きくなると・・・\(>_<)/
エノケンからすれば、小さい頃から飼っているから、恐くはないんですが・・・
外の人は・・・恐い!
そんなおり、時代の戦争の影響で、(大型の)動物を殺す!って事態に・・・
エノケンは、虎を仙台の動物園に連れていき、そちらに預かって貰う事に・・・
10年後に、仙台の動物園にエノケンが、虎に会いに行き・・・
(虎の)檻の中へ入っていきます・・・
すると、虎は、振り向いて、シッポを振りながら・・・『クゥ〜ン♪』って鳴いた・・・
エノケンは(元飼っていた虎に)『元気でいたか?』と・・・
\(^o^)/
虎屋の羊羮がなんで京都に・・・?
先程の吉原の事柄をテープに入れてくれた方によると・・・
白松がモナカの栗羊羮には、フクマセ?を入れてあるそうで・・・
頂いたテープをイッパイ聞きました♪
そんなこんなで、私は、【廓噺】をやるようになった!
京都の病院を退院して・・・
白松がモナカの栗羊羮を取り寄せて食べました・・・
・・・・・・美味しい♪・・・・・・
\(^o^)/
『よかったら、食ったらよかんべ♪』って・・・
白松がモナカの栗羊羮・・・お薦めいたします♪
これを、薦めたところで・・・時間は?』
\(^o^)/
まだまだ、大丈夫なようです♪
\(^o^)/
小三治:『京都御所の側の、虎屋本店にも、行きました♪
東京の羊羮は・・・ヨウカンだぁ!って・・・
京都の羊羮は・・・ハンナリしています♪
二条城も、京都御所も・・・バスで連れていかれました♪
奈良へも・・・
ただ・・・嵐山へは・・・
こちらは・・・手薄になった・・・
\(>_<)/
嵐山といえば・・・
高校の修学旅行で、京都嵐山に・・・
渡月橋で、一人で、枝をくわえて(嵐山寛寿郎気取りで?)いましたら・・・
同級生の久枝さん(女性)に会ってしまい・・・
(この会場には)居ないでしょうね?
別の落語会で、話をしましたら・・・
その方が会場にいらしたんですよ!
後に、久枝さんと同窓会で、会った時・・・
小三治:『久枝さん、覚えている?』
久枝:『覚えているわよ!渡月橋で・・・
あなた・・・何か・・・くわえていたわねぇ〜?』
小三治:『俺は、犬じゃないや!』
\(^o^)/』
会場・・・パチパチパチ!
小三治:『都内初公開で・・・
(京都での入院・手術・京都の話)
拍手は、要りません!
こんなの、芸でもなんでもないですから・・・♪』
\(^o^)/
小三治:『次の話題へ・・・
ヤッパリ京都の話・・・
【高瀬舟】
高瀬川って、鴨川に沿って流れていまして・・・
宇治の下の方で、一緒になる川なんですが・・・
森鴎外の【高瀬舟】を、私は、中学の時に読みました♪
高瀬川の様子も(小説の中とは)変わってきまして・・・
鴨川も、川辺や川幅が半分に・・・
高瀬川も、半分に・・・
以前は(高瀬川)川幅が5bくらいあり・・・
小舟が通れる川で・・・
【高瀬川】を朗読で、読んで妹に聞かせました♪』
\(^o^)/
小三治:『人間として、生まれて・・・名を残したい♪
墓石の名前は・・・その気持ちの表れで・・・
名前を残すって・・・
良いことで、名前を残す・・・これは、多い♪
悪いことで、名前を残す・・・これは、少ない♪
悪いことで、名前が残っているのは・・・
石川五右衛門♪
でも、石川五右衛門って・・・
何をしました?
誰も分からないんで・・・
\(>_<)/
それは・・・(当時)大阪城に忍び込んで、大阪城の主の豊臣秀吉の寝首をかこうと・・・
そこは、それ、事前に秀吉には、石川五右衛門が忍び込んでくると・・・
事前に情報が入っており・・・
大阪城の廊下を鶯張りの廊下に・・・
その鶯張りの廊下と知らずに歩くと・・・
『ほ〜ほけきょ♪』って・・・
\(^o^)/
この鶯張りの廊下で、石川五右衛門は、捕まり、京都の三条河原で処刑されまさした・・・
処刑に際し、街中に高札を立てたもんですから、見物人がごった返しまして・・・
石川五右衛門は、釜茹での刑に・・・
釜茹でって言いましても、お湯で茹でたんではなく、油で・・・
ですから、釜揚げの刑が正式なんですが・・・
【釜揚げの刑】に、京都のうどん屋からクレームがついて・・・
【釜茹での刑】の名目に・・・
\(^o^)/
そして、石川五右衛門が、釜茹での刑にされる時の時世の句が・・・
『石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世にに盗人の 種は尽くまじ』って・・・』
こんな泥棒の話をマクラに・・・
噺『転宅』に・・・
小三治師匠のマクラをタップリ聞けて、噺『転宅』までも・・・
マクラの話では、まだまだ、話したい京都の話があるみたいだし・・・
噺も、色々と聞いてみたいし・・・
小三治師匠の会・・・これからもドンドン参戦していかねば・・・
デスネ♪
\(^o^)/
By HB
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