プレーボールが始まった、ナゴヤバンテリンドーム。
久しぶりに、プロ野球を観戦しながら・・・
そのお供には・・・
てんむす(弁当)
本日の夕飯です。\(^o^)/
中日ドラゴンズ対楽天イーグルス。
先発メンバー。
いよいよ、プレーボール。
当方が、GETした、指定席、三塁側内野席。
楽天イーグルス側の席ですが、中日ドラゴンズファンばかりの席です。
左隣は、小学校低学年の娘さんと、父親・母親。
右隣は、小学校中学年の友達どうしの、男の子二人組。
明治村を早足で見学。
明治村→名鉄犬山駅→名鉄名古屋駅→地下鉄名古屋駅→地下鉄栄駅→ナゴヤドーム矢田駅→ナゴヤバンテリンドーム。
移動してきたのが、ナゴヤバンテリンドーム。
本日、18:00より、プロ野球オープン戦。
中日ドラゴンズ対楽天イーグルスの試合。
オープン戦なれど、両チームとも、2025年プロ野球開幕直前の、大事な試合です。
明治村の全景マップ
60数ヵ所の移築された、展示物。
記事に載せた展示物以外にも、何ヵ所かは、回り見学いたしましたが、とてもとても、一日で、全ては回りきれません。
帝国ホテル中央玄関、フランクロイドライトの設計した遺構を見てみたい!って思いで、訪れた明治村。
日本赤十字社中央病院病棟で、生誕のから病院に、60数年ぶりに、めぐりあえたり、乗り物好きにとっては、たまらない、村営バス・京都市電の乗車。アップダウンのある、広大な敷地の中を(村営バス・京都市電の活用もありましたが・・・)ビックリするほど、元気に闊歩移動出来たこと。
たくさんの収穫があると供に、もう一度、訪れてみたい地。
そんな明治村。
身体が、効くうちに、再訪してみたいです。
聖ヨハネ教会堂
(京都市 下京区 国指定重要文化財)
西郷従道邸宅
(東京都 目黒区 国指定重要文化財)
そろそろ、明治のから犬山駅までの、岐阜バスの時刻か気になり出しました。
森鴎外・夏目漱石住宅
(文京区 駒込千駄木町)
森鴎外
明治23年から1年半居住。
「文づかひ」などを執筆。
夏目漱石
明治36年から3年居住
「我輩は猫である」などを執筆。
明治の二人の文豪が、時を隔てて、借りた家。
当時の渋谷区広尾の日本赤十字社中央病院病棟の全景写真です。
こちらの明治村には、9棟あった病院の病棟の1棟を、移築したものです。
「ここで、オレ生まれたのか〜」って、感慨にふけっていると・・・
つながるものが、ありました。
それは、当方が、小学生〜中学生の頃
今は、亡くなっている母親が「わたし・・・明治村に行ってみたい」
このように、私に語りかけた事が・・・
出産を、初めて体験した、日赤病院が、昭和49年に、明治村に、移築された事を、テレビ・ラジオのニュースで、見聞きしたのでしょうか?
大変なおもいをして、長男(当方)を生んだ病院が、
ここ、明治村に・・・
母親の言葉の真相は、想像の域を脱しませんが・・・
確かに「わたし・・・明治村に行ってみたい」って言葉を私に語りかけました。
母親の言葉の意味を、当時(小学生〜中学生)の当方が知る由もありませんでしたし、その後、母親を明治村へ連れていってあげる事も出来ませんでした。
二つ前の記事で、日本赤十字社中央病院病棟の建物解説で、見つけたものは・・・
この病院病棟は、片山東熊の設計によるもの。
病棟は、高床で、二重床。屋上には、換気搭を設け、廊下は、ガラス張り、防湿・採光・換気など、病院建築として、細心の注意が払われている。
そのような、日本赤十字社中央病院病棟・・・
建設 明治23年
解体 昭和48年
移築 昭和49年
当方が生まれたのが、広尾の日赤病院。
生まれた年が、昭和38年。
まさに、こちらの日本赤十字社中央病院病棟が、現役で、渋谷区、広尾で、稼働していた時に、ここで生まれたました。
60数年ぶりに、自分が生まれた病院、それも、当時と同じ状態の建物を、訪れる事になるとは・・・
村営バスで、建物の解説を聞き、何気なしに、バスを下車し、訪れた病院の遺構。
そこが、自分の生まれた病院であったとは・・・